“あったら食べるよ”の真意
こんにちは。
今日は、主人もお休みなので午前中はスーパーへ買い出しに行ってきました。
そこでも言っていたのですが”あったら食べるよ”です。
私が、その食材を買おうかどうか迷っているとき。もしくは、実家から大量の野菜が送られてきて近所へのおすそ分けをどのくらいしようか迷っているとき。主人は必ずと言っていいほど口にします。
ここで気を付けなければいけないのは、その言葉の裏に隠されている意味を理解せず”あら?そう?”なんて真に受けてしまう事。
大体食べません。
言っても、我が家は4人家族。そのうち2人は子供です。
食べる量なんてたかが知れているけれど、1週間分の食料を週末に買いだめしている状態なので、なるべく過不足のないようにしたいと毎回頭を悩ませています。
そんな中で、出てくる主人の言葉をうのみにしてはいけないのです。
この”あったら食べるよ”の裏には、私がその食材を切ったり、皮をむいたり、料理したり何かしらの過程を通して食べられる状態になったものを出してくれれば食べるよ。という意味です。
なので、私が何もしなければ、その食材は腐って捨てられるだけです。
たとえそれがトマトだったとしても、彼はそれを冷蔵庫から出して、洗って食べるという事はしません。
私が、冷蔵庫から出して、洗って、食卓に出してやっと食べるのです。
言っておきますが、主人は常々”トマトは丸かじりに限る”言っています。
なので、彼の希望を叶えるのであれば、トマトは切らずにそのままが好ましい状態。
たかがそれだけのことすらしません。
突き詰めていけば、間違ったことは言ってはいません。
そう。彼は”食べるよ”としか言っていないので、嘘は言っていないのです。
そして、私が食材を洗ったり切ったりすることは労働とは捉えていません。
今日の午後、実家からたくさんのトウモロコシが届きました。
私が、ご近所に配ろうか迷っているよやはり”あったら食べるよ”と言っていました。
あなた、前回も同じことを言っていたけど、冷蔵庫に食べらる状態にして入れてあったトウモロコシに一度も手をつけなかったよね?
そして、最終的には5本処分することになりました。
その、処分をするというのも私の仕事です。
だから、何の罪悪感もなく”食べるよ”といえるのでしょう。
なので、毎回主人が”あったら食べるよ”と言ったものに関しては、そっとスーパーの棚に戻したり、ご近所へ配る用の袋に忍ばせます。
いいえ。本人にそのことは言いません。
以前にその話をしましたが、本人はそれが悪いことだとは思っていないようでした。私がやるのが当たり前という口ぶりでした。
なので、食材をそっと棚に戻します。
そんな人のために、使う労力はないです。
男は家事をするなという実家で育ったので仕方がないのでしょう。
まぁ、うちらの世代はぎりぎりそんな人もいるよねって世代です。
そこと戦う気力もありません。
なので、今日届いたトウモロコシも少しだけ残してあとは近所に配ろうと思います。
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